プロフィール
- 進藤 金日子(かねひこ)
- 1963(S38)年7月7日生
- 秋田県大仙市(旧協和町)出身
- 岩手大学農学部卒
- 元農水省農村振興局中山間地域振興課長
- 技術士(農業部門)
- 第24回参議院議員通常選挙で初当選(2016(H28)年7月10日)
- 総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官 (2019(R1)年9月13日 ~ 2020(R2)年9月16日)【第4次安倍第2次改造内閣】
- 第26回参議院議員通常選挙で二期目の当選(2022(R4)年7月10日)
- 財務大臣政務官 (2023(R5)年12月14日 ~ 2024(R6)年10月2日 )【第2次岸田第2次改造内閣】
- 財務大臣政務官 (2024(R6)年10月3日 ~ )【石破内閣】
- 趣味:読書、旅行、野球観戦
- 座右銘:真実一路、我以外皆我師
- 家族構成:妻、長男、長女
政治スローガン
農山漁村は日本の命綱
土地改良は日本の命綱
安心安全な食を守る
闘う土地改良
郷はみんなの宝
食はいのちの源
役職
国会関係
- 参議院 財政金融委員会 委員
- 参議院 地方創生及びデジタル社会の形成等に関する特別委員会 委員
自由民主党関係
- 東京都参議院比例区第38支部
その他
- 全国水土里ネット会長会議 顧問
入会している議員連盟等
農林水産関係はもとより地域振興等各種の議員連盟に所属し、政策の立案等様々な活動を展開しています。
- 農村基盤整備議連(事務局長代理)
- 有機資源利用推進議連(事務局長)
- ファームステイ推進議連(事務局長)
- 農業委員会等に関する議員懇話会(事務局長)
- 普及事業推進議員懇話会(事務局長)
- 食品産業振興議連(事務局長)
- 棚田振興議連(事務局長代理)
- 花火文化芸術振興議連(事務局長代理)
- 森林整備・治山事業促進議連(事務局次長)
- 農業・農協研究会(事務局次長)
- 捕鯨議連(事務局次長)
- 与党技術士議連(副幹事長)
- 国際連合国際防災戦略事務局を支援する議連(事務局次長)
- 水田農業振興議連
- 鳥獣捕獲緊急対策議連
- 再生可能エネルギー普及拡大議連
- 全国山村振興連盟
- 自伐型林業普及推進議連
- CLTで地方創生を実現する議連
- 漁港漁場漁村整備促進議連
- かつお・まぐろ漁業推進議連
- 海事振興議連
- 砂防事業促進議連
- 港湾議連
- 日米・日韓・日華・日ロ・日チリ等各種外交関係議連等、約164議連に参加
主な経歴
- 昭和61年3月 岩手大学農学部卒業
- 昭和61年4月 農林水産省入省
- 平成 7 年2月 在チリ日本国大使館書記官
- 平成15年4月 農水省農村振興局水利課課長補佐(補助事業担当)
- 平成16年4月 同 設計課課長補佐(企画班担当)
- 平成18年4月 熊本県農林水産部農村計画・技術管理課長
- 平成21年4月 関東農政局設計課長
- 平成23年4月 日本水土総合研究所企画研究部長
- 平成25年4月 農水省農村振興局設計課海外土地改良技術室長
- 平成25年7月 同 首席農業土木専門官
- 平成26年12月 同 中山間地域振興課長
- 平成27年6月 農林水産省辞職
- 平成28年7月 参議院議員通常選挙 初当選
- 令和 元 年9月 総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(就任)
- 令和 4 年7月 参議院議員通常選挙 2期目当選
- 令和 5 年12月 財務大臣政務官(就任)
- 令和 6 年10月 財務大臣政務官(再任)
自己紹介
「金日子」と書いて「かねひこ」と読みます。父が命名しました。父によると、子供の誕生前に雷が鳴ると「金」をつけるとの言い伝えを守り、七夕生まれなので「彦」をと考えたが、「金彦」では両方の字が「剛」と「剛」であり、元来「彦」は「日子」であったこともあり、「日子」にしたとのことです。農家にとって重要なお日様の「日」と位の高い「子」によったと。因みに親戚にも「日子」のつく立派な方がおられ、その方々にあやかったのが実情だと思います。
農業との関わり
自分なりに父母の手伝いを一生懸命しました。自宅は茅葺の「曲り家」で小学3年まで馬と一緒でした。圃場整備を契機に馬に代わり牛がやってきました。島根県から遥々我が家にきてくれ、子牛を沢山生んでくれました。冬に父は出稼ぎをしていた時期もありましたが、親戚や近所の方々、牛、犬、猫たちと楽しく生活しました。父は、後に町議会議員を3期務めましたが、現場主義の実直な姿勢は、今でも尊敬しています。
既に父は亡くなりましたが、議会の一般質問を私と一緒に議論しながら几帳面な文字で書き上げる姿が目に浮かぶと背筋が伸びます。
小学から中学にかけて県営圃場整備事業が行われ、明治生まれの厳格な祖父が換地委員長を務め、無事終了しました。圃場整備により故郷は大変住みよくなりました。
❶生まれと幼少時代
昭和38年7月7日、秋田県協和町(現大仙市)船岡に農家の次男として生まれました。兄弟は4人(長姉、次姉(夭折)、兄)の末っ子です。
幼少時代は、やや病気がちでしたが野山を駆け回ったり、川で泳いだりと普通の田舎の子供でした。ただ何故か地域の消防訓練が大好きで、父の後ろを追って訓練には皆勤でした。
❷小学時代
昭和45年4月、協和町立船岡小学校(現大仙市立協和小学校)に入学。高学年で野球をはじめ、児童会長としての活動も行いました。5年生の時の創立100周年記念行事も貴重な体験でした。
約3Kmの道を徒歩で通学。猛吹雪の中の通学は本当に辛かったですが、「いつか吹雪は止む、必ず雪は溶けて春が来る」という自然の摂理に気づいたことが、今の粘り強い根性の素地になっているかもしれません。
幼少時代から消防ポンプを格納する小屋の前の除雪作業を日課としており、小学4年の時に町長から表彰されました。地域の方々に褒められたのが正直、嬉しかったです。
❸中学時代
昭和51年4月、協和町立協和中学校(現大仙市立協和中学校)に入学。3年間野球漬けでしたが、3年時に生徒会長として初の文化祭を開催しました。
冬を除いて毎日、約8Km自転車通学。帰宅し入浴するのが「ニュースセンター9時」が終わる頃でした。根性重視の時代でしたが、走力をはじめ基礎体力が備わりました。3年時に秋田県の第44回全県野球大会で優勝し、小さな町が応援で一体となり、地域の結束にスポーツが果たす役割を身に染みて感じました。
❹高校時代
昭和54年4月、私立秋田経済大学附属高校(現ノースアジア大学明桜高校)に入学。寮生活を始めました。一応、勉学を志し、クラブに所属しませんでしたが、野球、柔道、駅伝、レスリングなど全国トップクラスの仲間たちと一緒に過ごしたことは、貴重な体験でした。特筆すべきは、3年時に野球部が甲子園に春夏とも初出場を果たし、春はベスト8まで進んだことです。
高校2、3年には、「原子力の日・記念作文コンクール」に応募し、2年連続で最優秀賞に選ばれました。当時の中川一郎・科学技術庁長官から賞状を授与され「真実一路」と記された色紙をいただいたことは忘れがたい思い出になりました。
❺大学時代
昭和57年4月、岩手大学農学部農業土木学科に入学。下宿生活を始めました。下宿が盛岡市内の八百屋さんで本当に貴重な経験を積みました。野球が忘れられずに準硬式野球部に入り、東北地区総体で2連覇したのも忘れ難い思い出です。
素晴らしい環境下で学生生活を謳歌しましたが、居酒屋の店員、家庭教師、高校野球・プロ野球のスコアラーと多くのバイト経験が大きな財産となりました。
3年時には、東海農政局御浜開拓建設事業所(三重県御浜町)で実習し、職員の皆様の真摯な姿に感動して、農林水産省への就職を強く決意しました。